発達障碍者の七転八倒記

漢方薬を試したり、施設行ってみたり、それでも無茶やってみたりする人間が時々書くブログ

障害者への『平等』とは何か

最近LITALICOナビに登録しています。

通所はしていませんが、コラムがちょいちょい参考になるので見ていたり。

そんな中で、一つ気になった事があり。

折角なので転載してしまいます。

 

https://h-navi.jp/column/article/35027523

「障害児は天使」「才能を伸ばしたらいい」の励ましに追い詰められた私が、救われた言葉とは

 

差し当たり申し上げると、自分はこの中に悪人がいるとは思っておりません。

みんな人をよく見てあげようと一生懸命なだけです。

親にもいろんな人がいて、自分の子供に社会的な価値観が無いことに憤りを持つ人もいて、そういう方にはこういった「天使」とか、何か価値観をもたせる言葉が必要にもなるのでしょう。

ただ、自分が感じたありのままを見たい人もいます。

そういった方が上記の言葉に遭遇した場合、このような事が起こるのかもしれません。

 

さて、閑話休題

表題に参りましょう。障害者への平等とはなんでしょうか。

障害者が健常者と同じように働き、同じように収入を受け取ることでしょうか。

それとも障害者に経費が掛かることを鑑みて、障害者の収入を削ることでしょうか。

 

健常者と同じ教育を受けさせる事が障害者への平等でしょうか。

それとも専用の教育を受けさせる事が障害者への平等でしょうか。

 

健常者と同じ職場で働く事が障害者への平等でしょうか。

それとも専用のサテライトオフィスで働くことが障害者への平等でしょうか。

 

上側が共産主義、下側が社会・資本主義的な考え方ですね。

でもこうして比べてみると、やっぱりとてもわからなくなります。

人に拠るのではないですかね?

 

私はちなみに子供の頃は専用の教育を受ける方が楽でした。

イジメで普通に学校に行くのがしんどくてしょうがなかったし、授業受けなくても教科書読んでいれば100点取れたし。

ある時ちょっとしたキッカケで、知障のための隔離クラスに立ち入る事があった時、あまりにも居心地が良すぎて、『なんで私ここにいないんだろう』って小学4年生の時に本気で思ったし。

父様や世間様とのズレがひどすぎて「お前はお前のままではいけない」が染み付いた結果、エニアグラムが4になってしまいました。

でも今の私は健常者に混じって一般枠として何年も働いていて、その間に色々な方々と一緒にお勤めをさせて頂きましたので、やっぱりサテライトオフィスに隔離されるの、嫌なんですよね。まるで自分が隔離されているみたいで自尊心を傷つけられます。

(あと発達障害特有の問題として、発達障害同士が極めて仲が悪くなりがちということもあります。)

 

こうして見ると、『平等』だと思うやり方すらも、受け側によって変わってくるなと思ってしまいます。

ならば、障害者に対してはもう『平等』とか『差別』と言う言葉は旧くなってしまったのかもしれません。

強いて言うなら必要なのは思いやりであり

だからこそ私達もまた、疎まれがちな性質を理解した上で、同胞や健常者に対しての思いやりを持って生きていくことが重要なのではないかなと思い始めております。

 

その意味では今トップページに上がってたこの記事はありがたい話ですね。

 

 https://www.yutorism.jp/entry/2019/11/17/090648

天才と仕事するのがしんどい

 

天才の諸賢。報連相は忘れないように。

世の中、資本主義なのに何故か「有能で有害な者」よりも「無能で働かないもの」を優先する動きがあるようですので。共産主義とか神の国でもあるまいに、日本人ってふ・し・ぎ。

脱線失礼。報連相も思いやりの一つです。私達が思いやりを持ってもらっていると感じられたのなら、改善とか改定する前に一度報連相はしておきましょうね。